特集:進化する食の現在 PROGRESSIVE FOOD CULTURE
ネットワークが遍く行き渡り、SNSによる無数の発信によって、情報の価値低下=デフレーションはかつてないほど進んでいる。殆ど無料であらゆるエンターテインメントにアクセスし、いくらでも時間を消費することができる。ある意味、娯楽やカルチャーは民主化され、誰でも手の届くものになった。
一方で、こうした価値の担い手たち、とりわけ若者たちは、かつてのように音楽や映画、アートやファッションといったかつてのカルチャーの王道に夢を抱くことが難しくなっている。それらに共通するのは情報化し、デジタルのネットワークに(情報量の多寡はあれども)容易に乗せることができるということだ。では、かつてそうしたクリエイティブに向かっていた若者たちが居なくなったのかというと、そんなことはないはずだ。彼らは何処に行ったのか?具体的に例をあげるなら、それは「食」を取り巻く世界だ。ブルックリンやサンフランシスコのヒップスターを追いかけると、その多くはレストランのシェフやオーナー、マイクロブリュワリーの醸造家、あるいはキュレーションの効いたグロサリーストアの店主だったりする。彼らはメディアを通じて、そのカリスマ的なストーリーを流通させる。けれど結局はその場に赴いて、手間暇かけて用意した美しい一皿の料理を、あるいは独特なフレーバーを加えた一杯のビールを、グラスフェッドミルクで作られたチーズを、味わってみないことには何も理解したことにはならないのだ。これらは決してインスタントなオンラインの情報で置き換えることのできないもの。だからこそ価値が生まれる。体験を伴った物語=食が魅力的であることは、日本の若者たちも気づき始めている。今号で取り上げた目黒のレストラン「Kabi」のメンバーも、前号で紹介した深大寺の「Maruta」のスタッフもみんな20代の若者だ。「Kabi」のイニシャルメンバーに編集者が加わったのも、下北沢の斬新なレストラン「Salmon and Trout」がミュージシャンやライターのユニットから成るのも決して偶然ではない。彼らは食がオンラインに乗せることのできない究極のメディアであることを理解しているのだ。タトゥーを施した腕は楽器を奏でる代わりに、フライパンをゆすり、フィニッシュのソースを添える。彼らは現代のピストルズであり、ゴダールであり、川久保玲なのかもしれないのだ。